「限り」への恐怖 「限り」故の美しさ

統一なんとか選挙

わが町の市議候補たちは
朝からワンボックスに乗り込み、

政策のアピールよりも
自分の名前をひたすらに連呼&連呼

どっかの宗教団体が使っていた手法。
心理深層部への「刷り込み効果」ってやつですね。

それにしても暖かいので
ひょっとしたら・・と散歩に出てみる。

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[ Fujifilm X100T ]

おおっ
やっぱり始まっています(開花
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そうかぁ、もうここまで来たかぁ

相棒(X100T)よ、
相変わらず君は良い色を出すねぇ

と、カメラ片手にムフムフしながら右往左往していたので
ほぼ間違いなく挙動不審者だったと思われ。

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光りが差し、温もりとなる
生の脈動が始まり、花を咲かせる

でも、
それは永遠には続かない
美しさと共に「限り」も与えられているから。

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不意に、
しかも唐突に失われた団欒の場

想いは強く、
その深傷の上に「現在(いま)」がある。

生きる とは、
「奇跡の連続」なのかもしれません。


お父さん お元気ですか
富良野に帰ってもイイですか(意味不明


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by 108_lapis | 2015-04-25 15:57 | 思うこと | Comments(0)

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